「見えない世界」は、誰もが見てる。
更新127日目!
この記事を読んでくれている方へ。
見えない世界の話は、信じますか?
それとも信じませんか?
この世の中、見えない世界が見える人がいます。
最初に思う事は、「怪しい」ではないでしょうか?
ここでいう「見えない世界」とは、スピ系とも言えます。
あなたのご先祖様は、こう言ってますよ。とかの類いです。
いくら怪しいと思っても、相手は「見える」から
そう言ってるのだろうと思うんですね。
なので、僕のスタンスは、相手が見えると言うなら、
そうなんだろう。って思う様にしています。
根拠有る無しに関わらず、そう思う様にしています。
なぜ?って、価値観が人それぞれなように能力も人それぞれ。
だったら、見える見えないも同様だと思うからです。
皆さんは、どんなスタンスですか?
ここで、「見えない世界」の捉え方を変えます。
さっきは、スピ系と言いましたが、次は「気持ち」「心」とします。
「気持ち」や「心」って見えないですよね?
相手の顔は見えますが、気持ちは目に見えません。
ましてや、心も見えません。
よく心の有り様が「顔にかいてある」と言ったりしますが、
それは目に見えているのではなく、顔から読み取れる情報から
気持ちを察しているに過ぎないと思うんですね。
そう考えたら、「気持ち」や「心」って「見えない世界」だと
考えられます。
そこで、察する、つまり想像力を働かせる事を「見える」とも言えます。
少々、こじつけかもしれませんが、そう考えれば、
「見えない世界」は、「見えている」とも言えますね。
想像力があるから、察する事ができるわけです。
想像力が無かったら察する事は不可能でしょう。
また、想像力が無い人は、いないはずです。
人によって、察するポイントは異なるでしょうが、
皆無ということは無いはずです。
なので、間違えても私は、想像力が無いなんて
考えないでくださいね。
ただただ、「違い」があるだけです。
「見えない世界」を意識してみると周りの見方が
変わるかもしれませんね。